つれづれ日記
(平成14年/2002年)

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平成14年8月19日(月)

「北京旅日記1」

すべては、映画「太陽の少年」から始まった。何年も前に偶然見た中国映画である。北京を舞台にした、少年の淡い恋の物語(?)である。それから、いつか北京に行こうと、夫は中国語の勉強を始めた。私も一緒にテレビの中国語会話を見てきた。いよいよその成果を試すときが来たのである。

何と言うことだ、昨日から台風が近づいてきている。予報だと、丁度飛行機が離陸する頃、関東地方に最も近づくようだ。昨夜は、大雨だった。朝になってもかなり降っているいる。何があるか分からないから、早めに家を出ることにした。タクシーで駅まで行こうとしたが、当てにならないと言われてバスで行くことにする。丁度小降りの時に家を出た。

飛行機の離陸時間は、午後2時である。早めに出たお陰で、11時には着いた。なんと空港では雨は止んでいる。いったい台風はどこへ行ったのだろうか。インターネットで買った格安切符なので、当日カウンターでもらうことになっている。実際にチケットが手にはいるまで、ちょっと不安だ。

右往左往しながら、なんとか無事に航空券を手に入れた。11時半からチェックインの手続きが始まる。カウンター前に行くと、もう人が並んでいる。ものすごい荷物を持った人ばかりだ。列が動き出したので、私たちも並んだ。しばらくして、前のアベックが荷物はそれだけかと聞いてくる。自分たちの荷物が、制限を越えそうなので、一緒に頼めないかと言う。見たところ二人なら、とても超えそうにないので、大丈夫だろうと言うと、乗るのは一人だという。不用意にひきうけてはまずいと思い断った。やっと、自分たちの番が来て、搭乗券を手に入れた。

空港での一仕事を終えて、一安心。お腹も空いてきたし、昼御飯を食べることにした。外を見ると雨は止んでいるし、風もたいしたことなさそうである。ゆっくり食事をして、早めに搭乗口の待合室に行った。

待つことひさし、予定時間を過ぎて搭乗した。早速、時計を北京時間にあわせる。心は早、北京だ。この飛行機は、北京、イスラマバード経由、カラチ行きである。地図で見ると、イスラマバードは、パキスタンのアフガニスタン国境近くの町らしい。座ってしばらくすると、アフガニスタン文化支援交流協会という資料ノートらしき物を持った人があちこちに乗っているのに気付いた。先日、上野でアフガニスタン展を見たばかりだったので、厳粛な気持になった。浮かれた心が、ちょっとしぼんだ。 

着いた!とうとう北京に着いた。午後5時頃だったろうか。まず、両替をした。一元が約一五円くらいの勘定だ。つぎの仕事は、帰り便のリコンファーム、チケット会社の人から、着いたらすぐするのが良いでしょうと言われていた。いくら探しても見つからない。やっと見つけたが、既にオフィスはしまっていて、誰もいない。ちょっと不安だったが諦めて、明日の最重要事項とする。

次はICM(国際数学者会議)の開場に行って、参加登録をする仕事が残っている。これは簡単、ICMの大きな看板を持った学生がいて、シャトルバスに案内してくれた。すぐ発車しそうなバスがいたのに、次のにまわされた。後で、分かったことだが、この時中国人の成(チェン)さんと接近遭遇していたらしい。成さんは、一台前のバスに乗っており、私たちをバスの窓から見ていたらしい。この時に、彼に会っていれば、ずいぶん違った北京滞在になっていたかも知れない。

6時半過ぎに、BICC(北京国際会議センター)に着いたと思う。会場についてまずビックリしたのは、大きな部屋にPCがたくさん並べられて、自由に使えるようになっていたことだ。やはり、PCなしでは、いられない人たちの集団のようだ。登録をしたら、のぞくことにする。

たくさんのボランティア学生が、受付で働いている。ここでは、公用語は英語である。たくさんの書類、本、バッグをもらい、首掛け式の参加者証(ICM用の名札)をもらう。なんと、これを見せれば、バスと地下鉄が無料になると言う。受付の学生がタクシーに乗ることないと言う。
タクシーに乗るという贅沢に慣れてない私は、もちろん、大喜びだ。後で分かることだが、ICMは、国を挙げての大行事のようだ。登録を済ませると、万里の長城の1日旅行を申し込んだ。
ツアーブックに書かれている値段より、安いように感じた。

さて、空いているPCを使って、留守番の息子にメールを打つことにする。私はよく分からないので、もっぱら夫の仕事だ。日本語のHPなどはそのまま読めるのだが、こちらから送信するときは、英語しかできないようだ。試しに、英語で息子にメールを出してみた。開けたのは良いが、終了が難しい。細かいことをしようとすると、中国語で、指示説明がされるのである。色々試して、なんとかプライバシーを保てる状態で、終了できた。

いよいよ、ホテルに行く番だ。たいていのICM参加者は、主宰者が用意した会場付近のホテルを利用するが、私たちは観光に便利なように、繁華街に取ってある。これから、バスと地下鉄を利用して、そこに行かねばならない。またまたボランティア学生に行き方を尋ねる。この人たちは流ちょうな英語をしゃべるので、会話は簡単である。目的地を告げると、行き方をプリントアウトしてくれた。

建物の外に出て、どっちに行こうか迷っていると、学生が話しかけてくる。紙に書いて、『崇文門』に行きたいのだと言うと、その学生はあまり北京の地理に詳しくないようだった。制服を着た(門衛か?)若いお兄ちゃんが、そこなら108番のバスに乗れば行けるよと教えてくれる。

そうそう大事なことを忘れていた。建物を出る前にトイレに行こうと思って、ドアマンにトイレはどこかと英語で聞いたら、分からない。今こそ中国語を試すときだと思って、やってみた。なんと通じた、相手はWCかと問いなおしてくる。そうだと言うと、教えてくれた。うーん、快感だった。

重い荷物を持ちながら、やっとバス停にたどり着いたら、丁度108番のバスが来た、しかも『崇文門』と大きく書いてある。終点が崇文門(チョンウェンメン)らしい。北京市街を南北に縦断する路線のようだ。途中、王府井とか東単などガイドブックで見た繁華街を横目に見て抜けていった。ホテルでチェックインしたのは、9時半頃だったろうか。嬉しいことにバイキングの朝食付きの値段だった。ホテルの名前は、北京新世界万怡酒店、アメリカのホテルチェーン、マリオットインの北京支店だった。部屋に金庫はあるし、ミネラルウォーターはあるし、アメリカ式の快適なホテルだ。

さあ、やっと夕御飯の時間だ。あれこれ緊張の連続だったので、空腹は感じてなかったが、何か食べて寝ることにする。丁度、ホテルの横に中国版のファーストフードショップがあった。24時間営業のようだ。絵付きのメニューを指さして注文し、先にお金を払って座席で待つ。ねじりあげパン、シュウマイ、餃子、ラーメンなどを試しに1つずつ注文した。合計25元、375円である。値段と味に大満足、毎日ココで食べればお金は減りそうにないと思った。

部屋に戻り、6時半のモーニングコ−ルを頼んで寝た。こうして、長い長い1日が終わった。
 
 
平成14年8月20日(火)

「北京旅日記2」

6時頃には目が覚めたが、モーニングコールを聞いて起きた。早速、部屋の窓から外を見る。このホテルは、デパートと繋がっていて、デパートは繁華街に向いており、ホテルは裏通りに面している。窓から見える景色にビックリした。通り向こうの胡同(フートン)を何ブロックも取り壊して、広い空き地が広がっている。いくつか建物が残っていて、公衆便所が1カ所だけ残っている。6時半には、たくさんの人が仕事を始めている。胡同のゴミを片づけているグループとホテル前の道も工事中で、反対側の歩道を造っているグループがある。

朝食後、その辺りを散歩した。ホテルの目の前に交番があった。その前で写真を取る。工事の人をよけながら、元胡同だった場所に入っていった。トイレは現在も使われているし、ぽつんぽつんと残っている胡同の一部の家にも人が住んでいた。近代ビルのホテルとは、全く別世界のようだ。広い空き地が広がっているのだが、良いなと思ったのは、木を残してあることだ。大きな木があちこちに残してあった。再開発もそれを残すようなことが考えられているのだろうか。

午前中は、『太陽の少年』の撮影現場を巡ることにする。まず、主人公のあこがれの女性が住んでいることになっている所だ。住所を調べてあったので、割と簡単に見つかった。映画のシーンを思い出しながら、あちこち歩き回り、写真をたくさん取った。

表通りを歩いている限り、不自由しない程度に水洗の公衆トイレがあった。こうやってあちこち歩き回るときには、本当に助かる。胡同を歩いている時も、トイレはよく見かけたがそこに住んでいる人用のトイレみたいだ。ちょっと行ってみたが、ドアのないトイレで女の子がこちらを向いてしゃがんでいるのが見えて、あわてて退散した。あちこちでトイレに行ったが、ドアのカギが壊れているのが多かった。新しい建物は、大丈夫だったが、あちこちの公衆トイレのドア自体がしっかり閉まらなくて、何となく閉まるのが多かったように思う。

映画の主人公の少年が住んでいることになっている小街や胡同を訪ねてまたまた歩き回った。その近くらしきところで、取り壊しの進んだ胡同を見ながら小街を歩いていると、映画に出てくるのとそっくりな煙突を見つけた。なんとか、近づこうとするが、塀に囲まれていて、なかなか近づけない。やっと、南街にまわって、そのブロックの入口にたどり着いた。門衛さんがいたが、皆自由に入っているので、私たちも入ろうとしたら、呼び止められた。

複雑な会話はできない。もちろん英語も通じない。夫が絵に描いて、煙突を見たいと言ったのだが、あちらも困っているようだ。意地悪そうには見えないが、自分にはどうしようもないという感じだ。結局、門の前で写真を取って、退散する。しかし、我々の気分は高揚した。そこは軍関係者のアパートのようで、関係者以外の訪問は、誰が誰を訪ねるのかを帳面に書くようになっているらしい。映画の中でも、主人公は軍人の息子で、そのような所が、撮影場所として使われいたのである。夫が一生懸命映画の説明をするが、誰もその映画のことを知らないようだった。

帰りは、その辺りの胡同を抜けて地下鉄の駅まで歩き、地下鉄でホテルに戻った。地下鉄を出たところに、果物屋さんがある、美味しそうな果物が色々ある。迷ったあげく、緑のブドウを買った。500g8元、その店ではかなり高い方だったが、換算してみると、120円だ。ホテルの近くで、包子(肉まんのような物)を売っているのが見えた。ふかした物とあげた物を買って、部屋でお昼にした。なんと1つ1つが大きいので、買ったのは4つ、5元もしなかった。この調子で行くと、両替したお金は使い切れそうにない。

ガイドブックによると、胡同ツアーというのがあるが、別にガイドに世話のならなくても、そこかしこに胡同は残っていて、自分たちで歩いても全然こわい目には遭わなかった。しかし、残っていると言っても、古い物はどこも取り壊しつつある。空き家になったところは、壊してまだ人がいるところは、そのままという状態だ。胡同の壁には、不動産物件を書いた紙があちこちに貼ってあった。

午後は、今回の旅行のメインイベント、ICMの開会式と会食だ。会場は人民大会堂、江沢民主席も出席するという。どんなところだろう。冷房は効くのかしら、服装はどうしようと色々心配した。女性のハンドバッグは持ち込み可ということなので、この日のために持ってきたバッグを持参する。しかし、結局、厳重警戒で、持ち込み不可、手荷物預かり所に預けることになる。昨日から生理なので困った。最低限の物だけを持って入場。入口でも身体検査をしている。シークレットサービスらしきお兄さんたちが皆、背が高くて格好が良い。いかにもエリートをそろえたという感じである。

開会式は長かった。江沢民を始め政府首脳に北京市長など、行政関係者の挨拶、もちろん数学界の長老の挨拶、どれも似たような挨拶をさんざん聞かされた。面白いのは、皆英語で挨拶して、中国語の字幕が出ることだ。最後にフィールズ賞の発表があった。途中休憩があったが、トイレは長蛇の列。とても休憩時間内には戻れなかった。

冷房で寒くなったときのために、上着を持っていたのは正解だった。ものすごく広い大会堂をがんがん冷やしている。途中から、耳の後ろの辺りがずきずきしだした。手を当ててなんとか我慢したが、時々耐えられないほどだった。その時はわかなかったが、冷房のせいだった。

やっと開会式が終わって、いよいよ会食だ。2階の別の大きな部屋で、たくさんのテーブルが並べられている。自分の席も決められていた。なかなか自分の席にたどり着けない。これは最後まで理由は分からなかったが、中国式だと、番号は、奇数と偶数に分けられるらしい。テーブル番号札が掲げられているのだが、近くの番号のテーブルはあるのだが、自分たちのテーブルがない。やっとその法則に気付いて、部屋の反対側に移動する。

私たちのテーブルは、まだ半分くらいの人しかいなかった。後で、聞いてみると、私たちのように部屋の反対側でうろうろしていたらしい。4000〜5000人の人たちが一緒に食事をするのである。大変なにぎわいである。ここでも挨拶をする人や乾杯をする人がいたが、挨拶の長さに飽きていたのは、その人たちも同様だったみたいで、誰も短い挨拶だった。第一聞いている人はほとんどいなかっただろう。

私の隣には、オーストラリアの大物らしきおじさん、夫の隣は韓国の人だった。楽しく談笑して、まあまあの食事をして8時頃には退散した。この時に食事をした人の何人かには、期間中に出会いがあった。オーストラリアのおじさんは、この後お腹を壊して2日ばかり寝込んだそうだ。私たちはどうもなかったのだけど、、、。

幸いなことに食事中は、頭痛から解放されたが、ホテルに帰ってからも、理由の分からない頭痛に悩んだ。ゆっくり風呂に入ったり、持参した梅干しを食べたりして、とにかく寝ることにした。今日も、充実した長い1日だった。明朝は、ゆっくり寝ることにした。
 
 
平成14年8月21日(水)

「北京旅日記3」

今朝は、ゆっくりするつもりだったが、いつも通り6時半に目が覚めた。窓の外を見たら、驚いたことに、昨日片づけていた空き地に塀ができていた。歩道のカラータイルもいくつかできている。工事の人は6時頃には集まり始めて、6時半には完全に仕事をしている。この調子だと、帰るまでには前の歩道のタイル貼りは終わるかも知れない。

中国人は、囲むのが好きだなあと思う。これから再開発すると思われる場所に、まず煉瓦塀を作るなんて、私にはちょっと考えられない。歴史的に見ても、胡同を囲む、北京の街を囲む、そして極め付きは国を囲む万里の長城。よくやるなあという感じ。

朝食は、バイキングになっている。洋風、中華取り混ぜて野菜物があるのがいい。中華をおもに取って、ゆっくり食事を楽しむ。それでも8時半頃には、出かける支度ができた。掃除、洗濯、食事の用意、片づけがないとこんなに時間があるのか。

今日は、故宮方面に出かける。地下鉄で前門(チェンメン)に行く。なんと、まだ朝9時だというのに、毛主席記念館入口には長蛇の列ができていた。夏休みで中国内のあちこちから観光客が詰めかけているのだろう。

昨日開会式のあった人民大会堂を左手に見ながら、天安門広場を北上する。とにかく広い、ここなら戦車がデモ隊を蹴散らすのも想像できる。天安門事件を想像しながら歩いた。広場の右側には歴史博物館、革命博物館が並んでいる。きっと地方からの観光客はそんなところも行くのだろうなと思いながら、故宮を目指した。

故宮の入場券売場ではちょっと並んだ。既にたくさんの人がいる。しかし、どこもかしこも広いので、混んで歩けないと言うことはなかった。故宮の正門から北門までまっすぐ歩いても、2kmはあるだろう。行っても行っても、似たような建物が延々と続く。あっちに曲がり、こっちをのぞき、故宮の中だけでも何km歩いたか分からない。出口直前の土産物屋にさしかかかると、日本語で呼び止められた。おみやげとお茶のサービスがあるという。何しろ疲れたので、言われるままに入った。そこには、何組も日本人のグループがいた。夫の知り合いもいた。その時だけの出会いだと思ったが、彼らとは翌日も会うことになる。

次は景山公園だ。故宮の後ろに人口の山を作った公園である。そこから故宮を見下ろすととても良い景色だと聞いてきた。既にかなり歩いて疲れていたが、さんざん歩き回った故宮の全景を是非見たくて、必死で山頂まで行った。故宮は霞んでいた。ばかばかしいほど大きい!ここまで来たら、隣の北海公園に行かねばなるまい。

1時半までに北海公園にあるレストラン[イ方]膳飯荘に行けば、宮廷料理が食べられる。4人以上だと予約がいるらしいが、2人だと不要とのこと。なんとか1時15分にたどり着いた。1人前100元の宮廷料理ランチメニューを注文する。ジャスミン茶も追加、歩き回って汗はかくし疲れているので、何杯もおかわりした。料理はランチメニューなので大したことはない。この店はテレビの中国語会話にも出ていて、昔の格好をしたウエイトレスがサービスしてくれる。どうも、その一人がテレビに出てきた人のような気がしたので、最後に記念写真を一緒に取った。

龍は、皇帝を象徴する動物らしく、至る所に龍の彫り物がある。中でも九龍壁は有名で、故宮と北海公園の2カ所は見逃せない。うっかり間違えると、1〜2kmは余計に歩くことになる。北海公園でもレストランから九龍壁に行くのに迷って、北海の中の島を一周半してしまった。渡し船に乗らないと、とても歩ける距離ではない。北海は、丁度蓮の花が咲いていて、忍ばずの池を何倍か大きくしたような池だった。

今日は、多分10km以上は歩いたのではないと思う。さすがに疲れたので、ホテルに帰って休むことにする。今日は、桃を買って帰った。大きな桃5個で8元だった。先日の葡萄も今日の桃も、本当に安くてうまい!

そうそう、今日は午前中、夫がチケットを買うのを見ていて、午後はもっぱら私が挑戦した。たわいのない会話だが、中国語が通じるのが嬉しい。音を聞いただけでは不安だけど、漢字を教えてもらうと、だいたい発音が連想できて覚えやすい。

私の上の姉二人が中国生まれで、いつか一緒にまた来たいと思っているので、少し練習しておきたかったのである。バスや地下鉄に乗るのも、中国語の良い練習になる。漢字を見ながら、駅名を言うのを聞いていると、だいたい分かるようになる。地下鉄では、英語でも次の停車駅を言っていた。たった2日歩き回っただけだが、かなり北京通になった気分だ。

ホテルの部屋でお風呂に入って、のんびりした。北京に着いた夜から、部屋にいるときはいつもテレビをつけている。時々知っている中国人女優や歌手が出てきたり、日本人歌手も日本語で歌っていたりする。

そうそう、昨日のICMの開会式の様子が何度もテレビで紹介されていた。中国人の有名な数学者のインタビュー番組もあった。音声としての言葉は分からないが、字幕が出ると、ほんの少し、言ってることが分かるのが嬉しい。江沢民の出席といい、この報道振りといい、国を挙げてICMを盛り上げようとしているのがわかる。日本ではちょっと考えられないことだ。

夕食は、隣接しているデパートに行くことにする。夫の目当ては、DVDやCDの売場である。小さな売場だったが、夫のほしい物が5枚も見つかった。何と全部で100元、あまりの安さに興奮してしまった。この勢いだとこの後何枚買うのかしらとちょっと心配になる。

5階に食堂街があった。広いフロアーの中程に、テーブルがたくさんあって、それを囲むように色々な地方の料理を売るカウンターだけの店が並んでいる。そこには、メニューと一緒に現物が並べてある。一通りまわって、ラーメンと思われる物を注文したら、それは、野菜や肉と一緒に春雨の入ったスープだった。それにどんぶり一杯のご飯付きで10元。味も料も大満足。

帰りに地下にあるスーパーマーケットに寄った。心配で山ほど生理用品を持ってきたが、こんなに便利なら持ってくる必要はなかった。ちょっと心配だったので、少し買い足した。北京の日常生活をのぞいたようで、かなり満足した。明日は、いよいよ万里の長城だ。
 
 
平成14年8月22日(木)

「北京旅日記4」

朝食が、6時半からなので、6時にモーニングコールを頼んだ。8時半にBICC(北京国際会議中心)集合の、万里の長城と明一三稜の一日ツアーを申し込んである。朝の渋滞を見込んで早めに出た。108番バスの始点から終点3つ手前まで乗るのである。予想以上に時間がかかった。ICM参加証を首から下げているので、私たちの行き先を察知して、次で下りなさいと教えてくれた女性が二人いた。二人とも上手な英語だった。

会場に着いたのは、8時20分。このツアーは人気らしく6台もバスが用意されていた。やっと最後のバスに乗り込み、滑り込みセーフ。と思ったら、まだ後から来る人もいる。結局出発したのは、9時だった。ここで、思わぬ人に会った。夫の同級生Tさん、これは幸先が良い。今夜は知り合いを見つけて、北京ダックを食べに行きたいと思っていたのである。早速、その話をすると乗り気である。あれこれ話していると、年輩の日本人男性Aさんが会話に加わった。結局、この方も北京ダックに誘う。

ガイドは、ハルピン出身の若い女性、英語はかなり上手、よくしゃべる。出発が遅れたせいか、猛スピードでバスは走る。すると、しばらくして路肩にバスが止まった。何事かと思ったら、スピード違反だそうだ。ガイドは2〜3分で済むから大丈夫、心配するなと言っている。その通りになって、この程度ならご愛敬か。
 

長城での滞在時間は1時間40分しかない。まず、集合写真を撮った。この写真を挟んだ写真集を100元で売るという。日本の旅行だと、写真だけでもこれより高いくらいだ。土産物を買う時間もなさそうなので、申し込んだ。二日酔いだと言っていたTさんは、さっさと登っていった。私も負けじと登り始めたが、ものすごい急な階段が続き、すぐにばてた。もう少し本気でトレーニングしてこなくちゃだめだ。たくさんの人があちこちでへたばっている。こういう体験をすると、今まで他人同士だった人と親しく口を利くようになる。Aさんも端の方で、座り込んでいた。

夫は一人でもう少し上まで行く言うので、途中で休んで待った。結局、夫も平らな所までは行けなかったようだ。時間も足りなくて、大汗をかいて戻ってきた。私の方も、ズボンのベルト周辺に汗じみができるほど汗をかいている。郊外の山の上だからと、持ってきた長袖綿シャツが役に立った。私は登山用のTシャツを着ていたので、中の下着を脱いで、夫は綿シャツに着替えた。時々涼しい風は吹くが、ものすごい汗をかいた。土産物屋でTシャツを買って、着替えた人も何人かいた。

集合時間にぼつぼつ皆が集まってきた。しかし、待っても待っても出発しない。40分待っても帰ってこない人が1人いるらしい。とうとう添乗員1人を残して出発した。残された若い女性の添乗員が寂しそうに佇んでいた。

次は昼食、かなりちゃんとした中華料理だった。しかしあまり食欲はない。せっかくの料理だが時間もないし、かなり残してしまった。やはり、中華はゆっくり食べたい。次は『明十三稜』だ。ガイドさんはあれこれ説明してくれたが、疲れて寝てしまった。バスが止まったところで下り、ガイドに連れられて、その後を歩く。一応ガイドブックで予習したのだが、何だかスケジュールをこなすだけという感じ。明稜は地下墳墓になっていて、涼しいが、中はすごい人だらけ。ガイドの説明も聞こえない。まあまあ、見学したことにしよう。

最後は翡翠加工場に連れて行かれた。要するにツアーおきまりの土産物店である。あれこれ、翡翠の真贋の見分け方などを教わり、30分の買い物時間があった。ついふらふらと子どもの土産に印鑑を買った。一つ2分で名前を彫るという。印鑑の頭には、干支の彫り物がある。ここで失敗、長男の干支を間違えてしまった。しかも、なにやら字が違う。幸太郎の幸が似たようであるが、よく見ると違う字であることが帰国後分かった。また、さすが2分の作品だけあって、字が白抜きなのだ。通常の印鑑は字の部分を残して、地の部分を掘るのだが、反対なのである。これじゃあ印鑑としては使えない。ノートや教科書の名前に使ってもらおう。

そうそう、万里の長城に残された人は、昼食中にうまく合流できたらしい。そのアナウンスはあったが、最後まで誰か分からなかった。無事に救出されて良かった。

夕方5時50分に、BICCに戻った。いよいよ北京ダックの番だ。メールチェックをしたいので、6時15分に再会を約束して、一時解散。初日に長男にメールを出したので、返事が来てないかと楽しみだったが、返事なし。英語で出したので無視したのかと思い、もう一度出す。今度は次男にも出す。帰国後分かったことだが、長男には、届かなかったそうだ。不思議だ。

BICC前で待ち合わせ、もうちょっと人数がほしいなあと言ってるところに、昨日の3人を見つける。特に予定はないというので誘った。7人になったのでほっとする、これなら丁度良い人数かも知れない。この人たちは、まだバスや地下鉄に乗ったことがないようだ。次はここだあそこだと教えてあげると、どうして分かるのだとビックリしている。バスに書いてある停車駅一覧表とアナウンスを聞いていると、分かると言うと、かなり感心している様子。はじめから関心がない人には、そんなことも思いつかないらしい。

待ち合わせの頃から、カミナリが鳴り出した。バスに乗る前からぽつりぽつり降り出した雨が、しばらくすると、土砂降りになった。雨宿りになって丁度良いと思っていたが、ものすごい渋滞に巻き込まれた。安定門(アンディンメン)と言うところに複雑なジャンクションがあって、そこで渋滞しており、しかも事故もあったらしい。1時間以上乗っているが、行程の3分の1くらいしか進んでいない。バスを降りて地下鉄に乗り換えようか迷ったけど、そこを過ぎれば順調そうなので、結局最後までバスにする。結局、途中でバスを乗り換えさせられたりして、2時間かかった。結構、繁華街も通るので、始めての人には良い経験になったのではないかと思いたい。

私たちのホテルの前(繁華街側)にある、「便宜坊「火考〕鴨店」と言う名前が気になっていた。見るとガイドブックにも載っている。今夜は人数をそろえていざ出陣という気分。他の人は、中国語の準備を全くしてないらしく、私たちにおまかせである。しようがないから、英語と怪しげな中国語で、次々に注文した。注文し過ぎかと心配したが、結構皆気にしていない。ウエイトレスの方が、心配で合計金額を計算してきて、これで大丈夫かという。中国では、ちょっと大金のようだ。大丈夫というと、今度は注文した鯉(多分桂魚)、海老、蟹を生のまま見せに来た。これが中国式かと思ったが、見せられてもいいよと言うしかない。蟹は自信がないが、魚と海老は袋の中で跳ねていた。

北京ダックは昔ニューヨークの中華街で食べた時、とても美味しかったので、本場の北京ダックを是非食べたかったのである。ほかにも野菜を2皿頼んだ。さあ、次々に注文の品が並べられる。結構味はいい。海老は手頃な大きさで、新鮮だしさっぱりして美味しい。蟹もあっさりして難なく食べられた。いよいよ北京ダックが出てきた。うーん、期待したほどではなかった。私が年取ったせいか、あまり油こい物を美味しいと思わなくなっているのだろうか。

蟹、海老、野菜で結構お腹はいい感じになっている。そうこうしているうちに、まだ鯉が出てきていないのに気付いた。どうしようと思ったが、調理の仕方を揚げ物ではなく、蒸し物にしたので、これも7人で食べれば、あっという間に平らげた。男性諸君は結構無理したのかも知れないが、だいたい注文した物は平らげた。おおむね味は良好。確かサービス料込みで、925元だった。

皆、私の怪しげな中国語が通じるのにビックリしたり、結構楽しまれたようだった。私たちは、ホテルの前なので、彼らをタクシーに乗せて、別れた。今日は、長い1日になった。
 
 
平成14年8月23日(金)

「北京旅日記5」

早、旅程の半分が過ぎてしまった。毎朝、前の歩道の工事を見ているが、かなりタイル貼りは進んでいる。明日か明後日までには、全部終わりそうである。

今日は、ガイドブックお薦めの琉璃廠(ルーリーチャン)におみやげを買いに行くことにする。この通りは電信柱もなく、清の時代の街並を再現しているらしい。まだ早いので、店を開けたばかりか開けつつあった。ここでも通りの後ろの胡同はどんどん壊して、がれきの山がむき出しになっていた。北京は猛スピードで変わりつつある。

まず、夫が影絵に目を付けた。映画「活きる」で見たらしい。最初は買う気はなかったが、今日最初のお客さんだから安くするよの誘い文句に釣られて、始めに見たのより高いのを買った。値段交渉はもっぱら私の役目である。はじめの買い物なので、値切り具合が分からない。感じとしてはもう少し、安くできたような気がする。少し慣れて、次は印鑑を見に行く。

日本人の客が多いのか、皆、流暢な日本語を話す。売り子が可愛い女の子だとつい気を許してしまう。印鑑も特に買う気はなかったのだが、話しているうちに、買う羽目になってしまった。昨日まで、お金をあまり使わなかったので、気が大きくなってしまった。結局、高い物を買うことになった。しかし、値段の付け方は全くいい加減である。2800元の物を最後は720元にした。これは、2本目なのでこんなに安くしたようだ。1本目は多分、向こうの思うつぼの値段だったのだろう。この客は持っていると思われたのか、とことんねらわれたような気がした。お陰で、財布はスッカラカンだ。昨日まで節約した分をすっかり吐き出した。

とは言いつつ、自分たちのおみやげばかりで、人にあげる土産はまだ買ってない。もう少し歩くことにする。少し行くとお茶やさんを見つけた。今度の店は日本語はダメだが、英語をうまく話す。めざとく私たちが首から下げているICM参加証を見つけて、昨日もそのお客が来た、テレビで開会式を見たと言い、時間があるなら、ティーセレモニーをしてあげると言う。私たちはしばらく歩いて喉も乾いていたので、お願いした。ウーロン茶を何杯も入れてくれた。

今まで、ジャスミン茶をずーっと飲んで気に入っていたので、結局おみやげに買うことにした。
ここで済ませたかったので、交渉しているうちに、小さな缶に詰めてくれるというので、おみやげ用にたくさん買った。やはり値引き交渉は、大変だった。ちょっと作戦を間違えて、あまり負けてはくれなかった。交渉がうまくなるには、修行が必要である。

おみやげが買えて、すっかり安心した。荷物も増えたので、いったんホテルに帰ることにする。
昼食は、例の包子4個4元である。先日買った桃もあるので、結構満足。印鑑や影絵を買わなければ、お金は確実に余ったのに、後3日の経費を考えると足りそうにないので、もう1万円両替した。

午後は、もう一度仕切り直して、天壇公園に行くことにする。昔皇帝が1年の出来事を天に報告する神聖な場所とのこと。相変わらず、広い!!とにかく観光するところはどこもやたら広いのである。南北に歩くだけでやはり2km以上はある。主な見学場所は縦に並んでいるので、助かった。連日の観光で、疲れているので、他はいっさい寄り道なし。うーん、もういいかという気分。

今日も、私が入場券を買った。そう言えば、ここで初めて二つで千円と言って、しつこく帽子を買わされそうになった。これが噂に聞いていた、日本語のしつこい物売りとわかった。

帰り道でちょっとハプニング。今までどこのバスも地下鉄も、ICM参加証を見せれば、無料だったのだが、帰りに乗ったバスの車掌も運転手もその事を知らないらしい。初めてバス代を払った。

4時頃には、ホテルに着いて、一休み。露店でアイスとコーヒーを飲んで、通りを眺める。暑くて疲れていて、アイスを食べたけど、後で、ある人がアイスでも食中たりをしたと言っていた。
冷たい物はやはり気をつけた方が良いらしい。

2時間ほど部屋で休んで、今夜は中心部に繰り出すことにする。はじめは東単に行くつもりだったが、バスに乗ってから、王府井(ワンフーチン)に行くことを思いつく。王府井の北から南に向けて歩くことにする。さすが、すごい人並みである。歩行者天国になった所では、移動彫刻展をやっていた。

お腹がすいてきたので、安くて美味しい店を探すことにした。狭い路地を入っていくと、たくさんの人が、串焼きを食べながら歩いていた。たくさんの露店が並んでいて、何を食べようか探しながら歩いていると、呼び止められた。道路にテーブルを並べて、簡単な食事を食べさせる店らしい。ラーメン、刀削麺を食べた。のどが渇いたので、やはり道端で売っているハミウリを買った。これはちょっと危ないなと思ったが、二人で消化した。安くてうまい物を食べると、うんと満足感を感じる。

さらに南下して北京飯店の角まで歩く。昔この近くに私の両親が住んでいたと聞かされていた。住宅の跡形もなく、その辺りは大きなビル街である。この角から、東単まで続く大きなビルがある。最近できたばかりで、通り抜けられるようになっており、店が並んでいる。ここに、回転寿司屋があった。東単の出口のマクドナルドで、一休みして帰った。

今日もよく歩いた。
 
 
平成14年8月24日(土)

「北京旅日記6」

今日の午前中は、BICCに行くことにする。夫は聞きたい話があるので、その間のんびりその辺で休む予定。前回、渋滞に懲りたので、途中まで地下鉄で行き、バスに乗り換えることにする。始まる前に、メーリチェックをする。その後、私は蔦森樹ファンクラブのHPに投稿することにした。北京到着時に見たときは、文字化けしていて見られなかったが、今回は日本語が表示されたので、書き込みができた。しかし、日本語入力はできないから、ローマ字で書いた。ちょっと、いたずら気分。

ガイドブックを見たり、ICMのニュースを読んだりしてたら、すぐ時間が経った。この時、レセプションで、同じテーブルだった日本人の方に会った。その時は、テーブルの反対側だったので話すこともなく、日本人かどうかもよくわからなかったが、会うのが2回目になるとどちらともなく挨拶して少し話した。

待ち合わせの場所に行くと、夫が中国人の成(チェン)さんと、開会式の時偶然地下鉄の出口で会ったTさんと待っていた。成さんは、ずーっと夫を捜していたとのこと。成さんは日本で仕事をしている人なのだが、せっかく中国に来たのだから、夫をどこかに案内しようと気に掛けてくださっていたようだ。成さんの案内で、この4人で午後、郊外の観光に出かけることになった。

今日、初めて北京のタクシーに乗る。成さんは、タクシーであちこち回るつもりらしい。昼前だったので、まず北京植物園にある臥仏寺に行った。ここは釈迦牟尼臥像で有名な寺らしい。今まで、皇帝の宮殿、公園ばかり見ていたので、お寺に来たのは初めて。中国式の大きなお線香をあげている人がいた。成さんに信仰について聞いてみると、自分たちは産まれたときから、共産主義しか知らないと笑いながら言った。この後行く香山公園のお寺でもそうだが、どれも仏像はものすごく大きい。

お昼は、あちこち走り回ったが、結局香山飯店にする。きれいで高級そうなレストラン。値段も良いが味も良かった。成さんによると、一皿の量が西洋式なのか少ないとのこと。注文は成さんに任せて、美味しい物をいただいた。香山公園で見なくちゃ行けないのは、碧雲寺の五百羅漢だそうだ、それを求めて広い公園を歩いた。いくつかの仏像と羅漢らしきものは見たが、羅漢堂の五百羅漢は見逃した。成さんも、余り詳しくないらしい。でも、色々見て満足した。

まだ時間があるので、円明園に行く。ここはアヘン戦争の後、英仏軍に破壊された西洋式建造物(清朝の離宮)の廃墟で有名な所。ガイドブックで見て気になっていたが、ちょっと離れているので、諦めていた。うーん、この廃墟がなかなかいい!来て良かった。近くに精華大学、北京大学もあり、昔はそれらも離宮の敷地内だったそうだ。

この後、北京大学の見学、構内がまた広い。昔は学生しか入れなかったそうだが、今は一般に開放されて、家族連れなどで散歩する人をたくさん見かけた。数学科の建物、図書館、学生ホールなどを見て、成さんお薦めの学内の食堂に行く。食事の前にTさんとは、お別れ。Tさんは夕食の先約があるので、BICCに戻った。

ちょっと早いが、学内の食堂に行った。とてもきれいで落ち着ける感じ。メニューは、ウインドーに今日のメニューの実物(調理前)がきれいに並べられていて、そこで選ぶ。成さんのお薦めに従って、こんなに食べられるかと言うほど注文。昼食の時から、成さんは夕食をここでしようと決めており、適当な値段でふんだんに食べられると言っていた。成さんが選んだ桂魚は、調理場の水槽から選び、若いお兄ちゃんが重さを量ってから、床に叩きつけて気絶させた。

成さんの発案で学内に宿泊しているSさんを呼んで、一緒に食べることになった。運良く連絡が付いて、来てくれた。たくさん注文したので、一時はどうなることかと心配したが、ゆっくり食べて飲んで、楽しいおしゃべりができた。この時、成さんから中国の現実を色々聞いた。貧富の差は激しいようだ。

今日は、成さんと会ってから、ずーっとタクシーを利用した。帰りも成さんが、運転手にホテルまで頼んでくれた。北京の北の端から南の繁華街までずいぶん走ったが、46元だった。うーん、安いと言わざるを得ない。

成さんには、ずいぶんお世話になった。成さんの案内するというのは、あご足付きということで、全く私たちにお金を使わせなかった。申し訳ないと思ったが、後でお返しをすることにして、いちいち逆らうのをやめた。成さん有り難うございました。

移動はタクシーで楽だったが、各公園の中が広いので、結局今日もよく歩いた。北京旅行は、まず体力づくりしないと身体が持たない。

そうそう、北京についてから毎朝、空を見ると曇りなので、いつも傘を持って歩いていたが、昼前になると決まって晴れて、暑くなった。成さんの説明で分かったが、曇りではなくて、どうもあれはスモッグらしい。都市化、工業化、砂漠化がずいぶん進んでいるとのこと。街中、どこへ行っても工事中だものねえ。
 
 
平成14年8月25日(日)

「北京旅日記7」

とうとう、最後の日を迎えた。明朝は、早朝にホテルを出て、飛行機に乗るだけなので、今日が、実質的な最終日だ。毎日疲れたけど、あっという間だった。

さて、今日は、昨日行くつもりだった北京展覧館とモスクワレストランに行く予定。その前に20日に見つけた煙突を、夫がもう一度見たいと言う。地下鉄で北京駅まで行って、バスに乗るつもりだったが、目的のバス停が見つからず、歩いて行った。今回は、外から写真を撮るだけ。もう一度、トライするように夫に言うが、その気はないらしい。写真を撮るだけで満足して、引き上げる。

この時、ビックリしたのは、北京駅を背中にして北上する道を、昔の広さの3倍くらいに広げているのだが、6日間に工事がずいぶん進んだこと。煙突のある辺りの道は、まだ狭かったのに、今日は広くなっていた。ホテルの前の工事もそうだが、何となく人が集まって仕事をしているが、がんがん働いているようには見えないのに、気が付いてみるとものすごく進んでいる。

成さんが言っていたが、地面から下は国家の所有らしい。古い胡同の住民を追い出し、国家政策のもとに、近代西洋型社会の建設に邁進しているようだ。半年もすれば、同じ場所が跡形もなく変わっていることだろう。

いよいよ北京展覧館を目指して、出発。地下鉄で、西直門(シーチーメン)に行く。地下鉄を出ると、ここも激しく工事中。狭いところに、輪タクがたくさん並んで客待ちをしていた。後で分かったことだが、北京動物園があるので、そこへ行く客を待っているのだろう。展覧館は動物園の隣にあった。『太陽の少年』に出てくる展覧館だが、なにやら催し物をしている。門の所で、何か券をもらって入るようだ。無料だが、身分証明書のようなものを見せて、入場券をもらっている。私たちもICMの参加証を見せて、入場券をもらった。各種食品フェアをしていた。あちこち探検して、映画の撮影シーンを探した。裏口をのぞくと、あった、あった。この会場から出ないと行けないようだ。モスクワレストランもあるはずだが、中からは、行けないことを確かめて外に出た。

映画のシーンを思い出しながら、写真を撮って歩いた。お昼になったので、モスクワレストランをのぞいてみることにする。映画でも、高級そうだったが、外見も由緒ありそうなレストランである。人の出入りを見ていたが、特別良い服を着ていなくても入れそう。丁度二人用の席が空いていた、運が良い。周りは家族連れで、贅沢な食事をしている。メニューを見るとものすごく高い。私たちは、飲み物と一品ずつ注文した。夫はスパゲッティ、私はグラタンを食べている人がいたので、見当をつけて注文したが、違うものが来たので、困った。このままではちょっと足りないので、パンをたのんだ。

夫のスパゲッティは、量は多いが味は今ひとつだそうだ。私の方は、キャセロールだったが、油濃くて、全部は食べられなかった。内装は、重厚な感じで、いかにも高級である。帰りにトイレに行ったが、きれいだった。

これで、昼間の予定は済んだが、少し時間があるので、西単(シータン)に行く。大きなビル全体が本屋さんというアジア一大きい書店があると言う。地下鉄の駅を出ると、大きな通りと大きなビルが並んでいて、とまどう。本屋はすぐ見つかったが、私は疲れてその辺で座り込む。夫だけがあちこち歩き回った。夜の予定もあるし、そうそうに引き上げる。

連日のハードスケジュールで、私は午前中歩くと疲れて午後は休みたくなる。特に今夜は京劇を見ることになっている。休まないと、居眠りに行くようなものだ。ホテルに戻って、シャワーを浴びてゆっくり休んだ。

京劇の前に北京最後の夕食だ。贅沢はもう十分だ。隣接デパート5階で、広東風ビーフンとラーメンを注文。テーブルで待っているときに、面白いものを見つけた。崇文門再開発計画の予定図面である。ホテルの前に広がる空き地には、アパート群ができるらしい。高級そうで、追い出された住人がとても住めるとは思えなかった。

6年前に来たことがあるというTさんは、今回は街並もきれいで安全なので、滞在を楽しめたと言っていた。6年前は、浮浪者のような人がたくさんいて、いつも緊張したそうだ。今は胡同を壊し、表通りはどんどんきれいになっているが、追い出された人たちは一体どこに行ったのだろうか?

これだけ街中が工事していれば、働き口はあるだろう。でも、皆が皆お金持ちになって、きれいな高級アパートに住めるわけがないと思う。歩道に風呂敷を広げて、対した品数もないのに店を出す人。リヤカーにいっぱい下着を積んで、売り歩く人。地下鉄のエスカレーターの横で、ちょっとした雑誌、本を売る人。日本では見かけない光景だ。多くはないが、小銭をせびる子どもや、障害者が缶を置いて、地下鉄駅の階段口に座っているのも見かけた。地下鉄に乗ったとき、膝下から足のない人が、車内を物乞いして歩く姿にはどきっとした。

いよいよ北京最後の夜のお楽しみ。京劇を見に北京大戯院へ行く。ちょっと早めに着いた。Tさんがいないかなあと話していると、向こうで手を振る人がいる、Tさんだ。今夜の北京大戯院は、ICMの貸し切りのようだ。一番いい席は、食事付きである。良い席から売り切れて、私たちは遅く申し込んだので、後ろの方だった。北京一の京劇の劇場だそうだが、後ろの席でも十分楽しめた。喜劇、悲劇、アクションものを短くまとめたショートストーリーを三つ。英語字幕と中国語字幕が舞台の両脇に出るので、誰でも楽しめる。結構、笑いや拍手を取っていた。こうして、北京最後の夜は更けていった。

明日は、4時半起き、タクシーを予約してある。飛行機は8時半離陸予定である。子どもたちはどうしているだろうか。親の不在を十分満喫しているだろうか?
 
 



Noriko Yamasaki